ミケガモのブログ

昨日の記事についての謝罪・反省・整理

はじめに

まず、昨日の記事を読んで不快感を覚えた方にお詫び申し上げる。 いかなる対戦相手も同じゲームを遊ぶユーザーであるということを忘れ、 一部の人たちに配慮に欠ける表現をしたことを深く反省している。 今後文章を書くときには、内容と表現に一層の注意を払おうと思っている。

誰かを不快にさせたり、同調や対立を煽ったりすることが目的だったわけではない。 前記事に限らないが、自分が文を書くモチベーションは、 このゲームに対して考えたことを言語化して残すことである。 だからこそ、そうやって書いたものが多くのプレイヤーの目に触れることを肝に銘じておかなければならない。 少なくとも、自分のTwitterアカウントに記事リンクを投稿するならば、 それを承知したうえでやるべきだった。

改めて、自分が至らなかったことをここで謝罪したい。

mikegamo.hatenablog.com


記事の内容についても一日頭を冷やして整理をつけたので、 落ち着いて補足する。

《ザガーン》について

デュエプレが始まってからの《ザガーン》のノリに懐疑的なのは本当。 TCG時代はごく一部のファンがネタにする程度だったが、 ここまで流布してしまうと流石に陳腐に思えてしまう。

ただし正確に言うならば、自分は《ザガーン》に関しては「どうでもいい」

冷静に考えると、 誰かが《ザガーン》で盛り上がることと、自分がプレイヤーとしてやりたいことは、 直接的には1ミリも関係無い。

カジュアルマッチで当たったときには両者の道が交わることになるが、 こちら視点だと究極的には「ああ、なるほどね」で終わる。

《ZAGAAN》が出てきたことに対して、《ザガーン》が大好きな人は素直に喜ぶ。 自分は、《ZAGAAN》を純粋に1枚のカードとして評価する。 ただそれだけでいい。

昨日は《ZAGAAN》の良し悪しを語った後だったこともあって、 《ザガーン》の好みに関しても二元論を展開して、自分自身もそこにあてはめてしまった。 だが自分の本意は、好きでも嫌いでもなく、無関心である。

それとは別に、《ザガーン》で喜ぶのが"浅い"と考えているのも、ごまかすことができない事実である。 (もっとマイルドな表現にするべきだったという反省はあるが、 一度書いたことは取り消せないので、自省としてそのままの表記にしている)

あのカードスペックと本気で向き合った人が何人いるのか分からないが、 あれを《ZAGAAN》なしに対戦用のカードとして掘り下げるのは流石に無理がある (これに反論するなら、《ラ・ガイル》や《グレート・ホーン》のデッキを用意する必要があると思われる)。

だが、こと《ザガーン》に関して言えば、"浅い"ことの何が悪いのだろうか? むしろ《ザガーン》が好きな人は、その"浅さ"を楽しんでいるのではないか?

だからその人たちには、自分のような部外者がごにょごにょ言ってきても、 「俺は好きだけどな!」と切り捨てて楽しんでほしいと願っている。

そして自分は今後、 気持ちよく切り捨ててもらえるようなセリフ回しを考えて記事を書きたい。

《リドロ》と《サード》について

昨日の記事でおそらく最も波風を立てたのが、 「【リドロマッドネス】と【サードサファイア】が《ザガーン》同様にくだらない」 という趣旨の記述。 これに関しては、じっくり頭を冷やして考え直した。

結果として、《リドロ》と《サード》がしょうもないという私の見解は覆らなかった。

これに関しても、嘘をついたところで仕方ないので正直に白状する。 そもそも、私が《リドロ》たちを好きでないのは、過去記事で何度も公言していることだ。 誰にだってカードの好き嫌いくらいあるだろうし、 「このカード雑魚だろw」と冷たい態度を取る人だって大勢いる。 ここはどうか目を瞑ってほしい。

だが、その理由は《ザガーン》が"浅い"のとは明確に違うことに気付いた。 理解が「浅かった」のは自分の方だったという皮肉だ。

今日気付いたことを早速書く。 自分が《リドロ》と《サード》のデッキが好きでない理由は、

「メインギミックが相手に依存しているから」

である。

《リドロ》は相手クリーチャーに攻撃してもらうことが、 《サード》は相手にクリーチャーを出してもらうことが、重要な前提となっている。 どちらも受動的な要素の強いカードだ。

よって、《リドロ》や《サード》は、それだけをコンセプトにすると明確に欠陥のあるデッキになってしまう。 コンセプトが自己完結していないデッキを見ると、自分はむずがゆくて仕方ない。

分かりやすく言うと、

「早くクリーチャー出してよー」 → 「《サード》除去されたのでリタイアします(爆)」

というのは、あまりにも情けないじゃないか。

だから、これらのデッキを使うなら、 欠陥をカバーする努力と工夫が見たいというのが私の意見だ。 それ次第で、《リドロ》《サード》は素晴らしいデッキになりうる。

今は亡き《烈流神》で圧をかけるとか、 《リドロ》なら《フィオナ》や《ドルザバード》、《サード》なら《メイデン》のように、 サブプランに何を取るかが重要になる。

……と、自分の《リドロ》《サード》への考えをまとめたが、 実はこれすらも意味がないかもしれないというのが次節の話。

テンプレ構築とプレイスタイル

この手の「パーティ編成して対戦するゲーム」には、基本的に「テンプレ構築」が存在している。

私は、テンプレートの構築をとことん避けるプレイスタイルだ。 プレイヤー三分類「ティミー・ジョニー・スパイク」を適用するならば、 自分はゴリゴリの「ジョニー」である。

Timmy, Johnny, and Spike - MTG Wiki

当然ながらジョニーは趣向の一つであって、楽しみ方はそれだけではない。

体験することに主眼を置く「ティミー」タイプの場合、 テンプレだろうがなんだろうが、楽しめていればオールオッケーである。 先ほど取り上げた《リドロ》や《サード》は動きが独特なので、 ティミープレイヤーが好むカードだろう。 ジョニーの私がそれらの構築論を説いたところで、 ティミーにとっては「楽しけりゃいいじゃん」で終わっている話なのだ。

ところが昨日の自分の主張は、テンプレを避けたいという私個人の価値観が行き過ぎて、 ジョニープレイヤーがティミープレイヤーを批判していると取られてもおかしくないものになっていた。 各人の主義に関する必要以上の言及は、深い軋轢を生む。明確な反省点だ。

一応私の意図を説明しておくと、「ティミー的な遊び方の人にも深みにハマってほしい」というもの。 ↓の調査によると、デュエプレユーザーはティミーの割合が多く、ジョニーは少ない。 デッキアイデアを考える楽しさを布教したいと思っていたのだが……。 あれじゃあ逆効果だ。

ついでに、昨日私が「《ザガーン》=《リドロ》《サード》」と述べたのは、 「よくある楽しみ方」という共通点だけを拾ったから。浅はかにもほどがある。

おわりに

以上、昨日書いた記事に関しての反省だった。

リプライや引用RTで沢山の意見・批評をいただいたが、 この記事でまとめて返答ということにさせていただきたい。

また、昨日の記事を(部分的にかもしれないが)良かったと言ってくれた方や、 それとなく反省点を諭してくれた方もいた。ありがたい限りである。

改めて、今後は皆がハッピーになれるような記事を書きたいと思う。 手始めに《ZAGAAN》の構築でも考えてみようか?