ある記事を読んで
次のようなnoteを拝読した。
素晴らしい記事であった。
UIが良くない、カードの生成レートが重いといった指摘に関しては全面的に同意するし、ソシャゲのメンテナンス事情に関する考察は非常に勉強になった。記事の引用もしっかりしている。
ところであちらの記事(以降「元記事」)は、アプリレビューが低評価であるという事実をもとに、今のデュエプレの問題点を指摘している。論旨の都合上、あちらには否定的なレビューが含まれているわけだが、その中にはいくつか自分の考えと異なる部分があった。本記事では、元記事の主にゲームデザイン・バランスの記述について、意見してみようと思う。
はじめに、本記事には元記事を非難する意図は全くないことを断っておく。この記事を書くに至ったのは、前述の通り私自身が元記事に深く感心したからだ。本記事には元記事と対立する主張も含まれているが、あくまで議論として記述したに過ぎない。また、本記事の内容は、今のデュエプレを楽しんでいる自分から発せられる意見だということにも注意が必要だろう。 なお、元記事の筆者様は多数のTCG・DCGをプレイされているそうだが、自分が本格的にやり込んだのはデュエマだけである。自分の視点の狭さが露見してしまうかもしれないが、どうかご了承願いたい。
カードレアリティの設定について
Appストアのレビューに目を通してみると、ユーザの不満はもっと他の面に向けられている。 それは集金体制だ。(中略) 何故なら、デュエプレでは紙のデュエマにて優秀だった低レアリティカードを軒並み高レアリティに設定し直しており、レアリティとカードパワーとが直接結びつく状況になってしまっている。
デュエプレでは、本家DMにて強力な元・低レアリティカードを、高レアリティに設定し直している。 元アンコモン・現スーパーレアの《雷鳴の守護者ミスト・リエス》、元コモン・現ベリーレアの《襲撃者エグゼドライブ》などは最たる例だろう。 一方で、環境でそこそこ活躍している《勇神兵エグゾリウス》は元ベリーレア・現レアと格下げを食らっている。ほかにもみんな大好き《コッコ・ルピア》はアンコモン維持、必須カード筆頭の《フェアリー・ライフ》《青銅の鎧》に至ってはなんとベーシックセットに収録されている。
こうした一連のレアリティ再設定について、私は純粋な環境整備だと考えている。牧歌的な環境を目指したいのではないか、という見方に反論はしない。ただ、私はより肯定的に捉えて、初心者層からメタゲームまで、プレイヤーレベルに応じて多様な環境を実現したいのだと推察する。
デュエプレでは、ランクマッチで初めてシルバー1・ゴールド1・プラチナ1・マスター・レジェンドに昇格した時、まとまった量のパックチケットやゴールドが貰えるようになっている。これによって、ゲームへの理解度がある段階まで深まったときに、同時にカード資産が増えるようになっている。必然的に、ランクが上がれば今まで見たことの無い環境に出くわすだろう。それに対抗して、自分も新しく手に入れたカードを使うのだ。結果として、プレイヤーはいろいろなカードを使う体験ができる。
しかし当然、この体制は拝金主義と表裏一体である。これをどう評価するかは人によって大きく分かれるだろう。
プレイの自由度について
マジック・ザ・ギャザリングや遊戯王には、相手のターン中を含むゲーム中のあらゆるタイミングで使用できるカードがあるが、デュエルマスターズにはそのようなカードは存在しない。デュエルマスターズには「起動型能力」もルール上定義されていないため、デュエルマスターズにおいてプレイヤーのPSを反映する要素の最たるものは、必然的に「手札のどのカードを使用するか?」という選択になる。
DMしか触ってこなかった自分にとって、非常に勉強になった箇所。確かにその通りだ。今でこそシノビや革命ゼロトリガーなどがあるが、DMのゲームシステムでは、カードをプレイするタイミングが強く限定されている。すなわちその点では、DMはプレイの自由度が低い。今まで意識してこなかった指摘に面食らい、「デュエマって何が楽しいんだろう?」と真剣に考えてしまった。
さて、これを受ける形で、元記事では1枚のカードでできることが少ない、それが原因でプレイングが引きに左右されてしまうと述べている。
ところで現行のデュエプレに実装されている呪文カードの多くは、《デーモン・ハンド》や《エナジー・ライト》のように単一のアクションを起こすものになっている。
結果、プレイヤーの勝敗に対してデッキトップから何を引けるかが、最善のアクションを起こすことができるかということに密接に関係することになり、デュエプレの競技性は不健全に乱れている。
これに対して、私は異議を唱えたい。
DMには「マナチャージ」というシステムがある。マナチャージは「マナを溜めて自分の使えるカードを増やす」というのが主目的であるが、それと同時に「要らないと判断したカードを手札から捨てる」という行為でもある。先ほどDMはプレイの自由度が低いと述べたが、それは行動できるタイミングについての話。DMには「マナチャージ」というシステムによって、使うカードと使わないカードをゲーム中に明確に判断するという自由度が確保されている。
例えば、「相手は速攻のようだ。手札補充はシールドブレイクに任せて、ドローソースを埋めよう」「相手はもうすぐ7マナだ。そろそろ《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》などのキーカードを出してくるだろうから、除去カードを握っておこう」といった具合だ。やや上級者向けだが、握っておきたいカードばかりが手札にあるときには、マナチャージせずに全てキープするというプレイングもありうる。
このようにプレイング次第で、「単一のアクションを起こす」カードしか積まれていなくても、「最善のアクションを起こす」ことは可能である。
元記事の指摘の通り、器用なカードが増えてくればもちろんゲーム性は増すだろう。 その一例として、《陰謀と計略の手》を持ってくるセンスも素晴らしいと思った。
アルカディアスについて
元記事では、「DMのコントロールデッキは、相手が使ってきたカードを都度対処する『一問一答』式の戦法を取る」と述べている。そして「現デュエプレにはその対処ができない状況がある」と主張し、その具体例として《聖霊王アルカディアス》を挙げている。
問題は、デュエプレにおいて適切な「答」の無い「問」が存在することである。 その最たるものが《聖霊王 アルカディアス》とその進化元として採用されることの多い《光輪の聖霊 ピカリエ》だろう。《光輪の聖霊 ピカリエ》はキャントリップによって、除去されてもアドバンテージを損失しない強みがあり、《聖霊王 アルカディアス》は対処するのに有効なカードが現状カードプールに存在しないほぼ無敵の状態にある。 こうした「問」と「答」に対称性のないカードプールがデュエプレの競技性を貶めている。
(対抗デッキはあるものの、という文脈から)単体のカードでアルカディアスを対処することが非常に困難であることには変わりはなく、ゆえに勝敗がデッキどうしのマッチングに依存する状況になっている。
事実、現環境で《アルカディアス》を確殺するカードは数えるほどしかない。 パワー11500を上から殴れるカードは《悪魔神バロム》《不落の超人》の2枚だけだ。 クリーチャーの効果による確定除去は、《魔獣虫カオス・ワーム》のみ。 これらはいずれもメタゲームに絡むほどの活躍をしていないため、《アルカディアス》というクリーチャー自体は実質無敵である。
さらに、進化元の《ピカリエ》は現環境における超強力カードだ。こんな2体にタッグを組まれては、どんなデッキもなすすべがないように見える。
さて、元記事ではこんな《アルカディアス》に対する回答が無いのが現環境の問題だと述べていた。 しかし、今の環境でも回答は存在する。 それはズバリ、《アクア・サーファー》である。
確かに《サーファー》ができるのはバウンスのみであるため、一時しのぎにしかならない。 しかし、《アルカディアス》にとってはその一時しのぎが非常に辛い。 例えば、《アルカディアス》の早期召喚を狙った次のような動きを考えてみよう。
- 3t 《青銅の鎧》
- 4t 《ピカリエ》
- 5t 《アルカディアス》
一見非常に強そうだが、特にビートダウン相手にこのプレイングだと高確率で負ける。
《アルカディアス》召喚後、すぐシールドを削りに行って《サーファー》を踏んだ、もしくは次のターンに《サーファー》が出てきたとしよう。そうすると、場に残るのは《青銅》1体だ。《アルカディアス》を再召喚するにはあと2ターン必要となるが、そんなことをしている間に相手は3~4体のクリーチャーを召喚して攻撃してくるだろう。防御札である《ピカリエ》の上に《アルカディアス》をもう一度乗せる暇はないはずだ。
このように、《アルカディアス》は一回バウンスされただけで、テンポアドバンテージを大きく失う。《サーファー》は超メジャーカードなので、これだけで《アルカディアス》の抑制には十分だろう。
では、相手が《サーファー》を出してこない、もしくは相手のデッキスピードが遅い場合には、《アルカディアス》を出せば勝負が決まるのだろうか。その答えは否。相手は、《アルカディアス》を放置して殴ることができる。 《アルカディアス》はほぼバトルに負けないパワーで相手クリーチャーを殴り返せるが、裏を返せば、《アルカディアス》で処理できるのは1ターンに1体だけである。手札のカードでも相手クリーチャーに対処していきたいが、除去呪文は自分の《アルカディアス》によって封じられるので、大抵は展開力勝負になる。そのとき、アルカディアスを出すために使った2ターンの時間差は重くのしかかってくる。 そして、どんなにブロッカーを固めたとしても、最終兵器《ホーリー・スパーク》は普通に通してしまう。
少し大げさな言い方をすれば、《アルカディアス》は除去しなくてもよいカードなのである。 これは「《アルカディアス》を出した側が押し切られて負けた」というゲーム展開を体験することで初めて分かってくる。
勿論、《アルカディアス》はコントロールデッキにとっては天敵だ。が、現環境での《アルカディアス》の存在感を考えれば、コントロール側も何かしらの策を持っているに違いない(出されないよう頑張る、出されたら諦めるという選択肢も含めて)。
そんなわけで、現状では「《アルカディアス》が入っているから詰み」となるようなデッキはほぼないと私は考えている。それよりかは、ブロッカーデッキに対する《クリスタル・パラディン》や《クリムゾン・ワイバーン》の方がよっぽど無慈悲な仕打ちをしていると思う。
元記事では《アルカディアス》一強を崩すために、カードプールを増やすことを提案している。しかしむしろ、使われるとどうしようもないカードとデッキの組み合わせというのは、これからカードプールが増えるごとに深刻になっていく問題だ。新たに強力なメタカードが出ると、そのメタカードによって封殺されるカードおよびデッキが出てきてしまうからである。それもまたカードゲームだから仕方ないが。
おわりに
環境の切り取り方は人それぞれだと思う。 私の一つの目標は、自分なりに筋を通してDMのゲーム性を理解していくことである。 そのために、色々な人の考え方を見てみたい。